7月16日(土)・17日(日)に祇園祭がある。その祇園祭で中学1年生が小学生とともに「子どもささら獅子舞」を舞う。舞う時間は約20分。激しい踊りだ。獅子は男子。今年から丹波中1年男子3名が獅子。(2年・3年は大人の獅子舞 約40分) 昨年度までなかったことだ。郷土芸能が廃れないように保存会の協力と指導の下,夜4日間の練習。(小学生は6日間)
お囃子とともに舞う。実にエレガントだ。激しさの中に雅を感じる。何故,獅子舞なのか。歴史を紐解いてみた。
丹波山村の獅子舞は青梅市沢井から伝わる。時期は寛文元年(1661)から宝暦8年(1758)の間。 青梅沢井の獅子は宝暦の頃までに一時すたれ完全な舞いは不可能になっていた。その頃,丹波山村の名主岡部家に聟養子にきた,沢井の福島家の新左ヱ門が村人に獅子を習わせ盛大に行われていた。そのため,再興を考えた沢井の村人が丹波山に教わりに来る。その年が宝暦8年。 沢井獅子舞由来記によると,日本獅子舞の由来は,4代将軍源頼経の鎌倉時代。寛元3年(1245)3月3日,後嵯峨天皇の皇居で曲水の宴があった。その時,「空が真っ黒になり,雷が鳴り大風が吹いた。直後に南から激光が走り,紫震殿に落ちた。そこには動物の頭らしいものが3つあった。海に捨てようとしたが天皇は,『石清水八幡宮の神に吉凶を示していただこう』と申された。」「神のお告げによると,南天竺銅ヶ嶽の岩石山に住む獅子の頭。この獅子は怒ると高い山も崩し大地も動かすが,ふだんは世には出ない。まれに聖人出世の時に出るが,心が澄んでいる人にしか見えない。政治が天に叶ったものであるので現れた。」「これより以降,この頭を人の頭に乗せ,獅子のように舞うとご加護がある。」 長く続いていた丹波山村の獅子舞は明治17年から34年まで約20年間中断。明治38年には再開。昭和43年には保存会が設立され,昭和46年(1971)には小学生が子どもささら獅子舞を舞う。 獅子舞は12通り(「へい掛り」 「帯掛り」「白刃」「笹掛り」「雌獅子がくし」「花掛り」「まり掛り」「ふとんばり」「さお掛り」「剣ぐるり」「せいめい割」)あったようだが,昭和61年現在「へい掛り」 「帯掛り」「白刃」を祭りでやっている。 (わが古里丹波山より) 平成27年現在,ささらを一対ずつ持った花笠役を四方に配置し,その部内で太夫,小太夫,雌獅子三頭の獅子が舞う一人立ち三匹獅子で五穀豊穣,無病息災を願って7月の祇園祭で舞う。初日は,獅子舞を伝授されたと言う守岡家から川上神社,大六天神社,子の神社,熊野神社の順に回り舞が奉納され,翌日は,守岡家と熊野神社ではしまい獅子と呼ばれる舞が奉納される。 |
無病息災・五穀豊穣を願って懸命に舞う生徒たち。汗ダクで練習している。保護者の方も見守っている。なんとも言えないいい光景だ。この生徒たちがいずれ保存会のメンバーとして300年を超える郷土芸能を引き継ぐことを願ってやまない。