雑感30 :  巣立ち

 3月13日(月),曇り空の中,第70回卒業証書授与式を挙行した。多くのご来賓・保護者の方々が見守り見届けてくださった。卒業生は思い出が多い丹波中を去る覚悟,丹波山村を去り新たな環境で生活する覚悟ができていた。そして,この3年間,何事にも手を抜かずに頑張り続けた4人。この卒業生4人を誇りに思った。

 はなむけとして祝辞では次のように述べた。

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 ふりそそぐ穏やかな光に導かれて,丹波山の木々が芽吹き始めました。春の到来です。

 このような佳き日に,丹波山村村長 岡部政幸様,村議会議長 白木昭一様をはじめ,多数のご来賓の皆様にご臨席を賜り,丹波山村立丹波中学校第七十回卒業証書授与式が挙行できますことを,心より感謝申し上げます。

 保護者の皆様,お子さんのご卒業,おめでとうございます。私たち教職員は四人の自立を目指した教育に努めてまいりましたが,その間,保護者の皆様のご支援・協力がなければ成し遂げることはできませんでした。敬意を表します。また,日々お子さんの成長を陰に日向となり支え,ときには悩み心配し眠られぬ夜があったかと察しますが,今は走馬燈のように甦り,喜びもひとしおであると思います。改めてお祝い申し上げます。

 さて,本日,九カ年の義務教育を終え,心技体のすべてにおいて大きく成長したO・K君,S・R君,H・S君,F・T君,卒業おめでとう。今,目の前にいる四人をこうして見ていると,とても凜々しく,社会人かと思えるような毅然とした態度で,新たな出発(たびだち)への決意が感じられ,とても嬉しく思います。

 一昨年の四月,私はいがぐり頭,坊主頭のあなた方に出会いました。その時,外見を着飾る中学生が多くなっている今,何かに夢中になるものがあるな,久々に純真な生徒との出会いだなと思いました。そして,新任式では軽く握った手を膝の上に置いて話を聞く。まさに「丹波中生四つの規範」を二年生ながら成し遂げていました。感服しました。うかうかしてはいられないと思いました。

 私は,そんなあなた方の教室によく行き,機会をみてはよく話をしました。なかでも,三年生の奈良・京都・広島の修学旅行では,勉強のことや小学校の頃のこと,柔道や相撲,野球のことなどの話をし,一人一人の考えていることを知ることができました。あなた方四人は鋭敏な感性を持ち,互いに踏み行ってはいけない部分を知っていました。

 この四人の「四」という数字を聞くと思い出すことがあります。それは,北都留支部総合体育大会陸上の部のリレーです。泣いても笑っても最後のレースでした。
「第二コース,丹波中学校。一走 FT君,二走 HS君,三走 OK君,四走 SR君」とアナウンス。このリレーは三人ならエントリーさえできません。五人なら一人が補欠になります。四人だったからよかったのです。レース中は酸いも甘いも分かっている四人が懸命にバトンをつないでいましたね。結果は五位でした。しかし,このリレー出場には順位よりもっと大きな意味がありました。それは,丹波山村の地に生まれ育ち,小学校から中学三年までいっしょに学校生活を送っている四人がバトンをつなぐこと。速いとか遅いとかは関係なかったのです。不思議な縁(えにし・えん)を感じました。

 そんな不思議な縁(えにし)の四人は生まれ育った丹波山村へ中学生として貢献できることを考え実行しました。
 第四八回清流祭では, Link ~ 繋がる ~ のテーマの下,全校生徒十人の絆を深めただけでなく,閉催式では生徒十人の輪から三十,五十と地域の方々と手をつなぐ輪が自然とできました。“地域が学校を育て,学校が地域を守る。”を実現したのです。見事でした。
 また,今年度初めて開催された子ども議会。「雇用促進」「古民家活用」「情報発信」「IT誘致」などを村へ提言しました。よく考えたね,すごいね,こんな中学生がいれば安泰だなどと賞賛されました。嬉しく思いました。鼻が高くなりました。と同時に「何故,こんなことを中学生に考えさせたのか」「本当は我々大人が考えることではないのか」と自責の念にかられました。
 しかし,これも四人にとっては縁(えにし)なのです。背負っているもの,背負わされているものがあるのです。人は生かされて生きています。感じ取ってください。

 これからあなた方は,丹波山の地を離れそれぞれの道を歩むことになります。ナンバーワンにならなくてもいい,もともと特別なオンリーワンのフレーズで有名な「世界に一つだけの花」を作詞・作曲した槇原敬之さんの歌に「遠く・遠く」という曲があります。

 遠く遠く 離れていても 僕のことがわかるように ……
 どんなに高いタワーからも 見えない僕のふるさと
 失くしちゃだめなことをいつでも 胸に抱きしめているから ……
 大事なのは ”変わってくこと” ”変わらずにいること”
 僕の夢をかなえる場所は この街と決めたから

 これからは,それぞれ自分の夢を叶える場所,活躍する場所が違います。また,家族の元を離れて生活したり多くの時間をそれぞれの高校で過ごします。必ず幾多の苦難が待ち構えています。そんな時は,「ピンチの時こそチャンスと捉え,勇敢にチャレンジすればチェンジが見えてくる」。このことを思い出して,とことんトライしてください。きっと明るい未来が見えてくるはずです。それでも,心が折れてしまうことがあります。そんな時は,丹波川に浮かぶ空を思いだし,お父さんやお母さんの顔を思い浮かべながら,丹波中学校で培った,凡事徹底,当たり前のことを当たり前にし,歩んでください。そうすれば,歩む道は切り拓かれていきます。高村光太郎の「僕の前に道はない。僕の後に道はできる」です。そして,家族への感謝,丹波山村への感謝を忘れずに,「ありがとう」がいっぱい,いっぱい言える人間になってください。
  
 私たち教職員一同はあなた方を卒業生として送り出せること,たいへん誇りに思います。自信を持って歩んでください。そして,この丹波山の地でずっとあなた方を見守り続けています。ときには元気な姿を見せに来てください。楽しみにしています。結びに,

 K君,一度でいいからいっしょに釣りをしたかったなあ。
 R君,飛び上がるほどの柔道の試合みたかったなあ。
 S君,兄弟三人で舞ったささら獅子舞,格好良かったよ。
 T君,二年生の三千メートルの激走,いい顔だったよ。
 そして,君たちの背中に男を感じるようになったよ。

 最後になりましたが,折しも一昨日は東日本大震災から六年。そんな縁も噛みしめ祈りつつ,ご来賓・保護者の皆様からの,常日頃からの本校教育に寄せられましたご支援・ご協力に対し,厚く御礼申し上げ,巣立ちゆく卒業生の限りない前途を祝し,式辞といたします。

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 卒業生4人,君たちの前途に幸多かれ。そして,背負っているもの,背負わされているものを心地よく感じ生き抜いていこう。

 

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