雑感17 : 東日本大震災から5年

 今日は3月11日。東日本大震災から5年。早いと思うか遅いと思うかはその人の心の有り様であり,体験の深さなのであろう。

 当時,都留市の学校に勤務していた。14時46分頃,大きな揺れ。電信柱が左右に揺れた。体がふわふわ浮いた。生徒避難誘導…。ライフライン遮断。ラジオでは都留市震度5弱。その後,太平洋側の東北地方では津波発生……。生まれて初めて経験する大地震。夜,自宅に帰るも電気は途絶えている。甲府にいる娘が帰っていない。妻が迎えに行っていると電話がある。胸をなで下ろした。福島第一原子力発電所でメルトダウンが起こっていることも知らずに。

 あれから5年。メディアは先週から特集を組んで報道している。NHKでは「被曝の森 ~ 原発事故5年目の記録」,フジテレビでは「消防隊だけが撮った0311 彼らは『命の砦』となった』等々。朝日新聞では「東日本大震災5年 私たちは変わったのか」を8日から連載を始めた。第1回は記憶と忘却。その中で,記憶とどう向き合うか示唆している。
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 人間は忘れる生き物というけれど,あれほどの体験を忘れられるはずがない。悲しみや悔いを封じたままでは,心の傷は癒やされません。それどころか,つらい記憶にさいなまれ続けることになる。心的外傷後ストレス障害(PTSD)を薬で治すことはできない。
 重要なのは,記憶に支配されるのではなく,記憶を支配できるようになることです。そのために必要なのは,語ること。語って現実と向き合うこと。                        桑山紀彦氏(心療内科医)

 震災から5年だと世の中が騒ぐ。しかし,被災地の方は同じようには感じていないと思います。彼,彼女らにとっては,それは時間の経過によって変化することではないからです。克服したとか,アンダーコントロールとか,どう言おうとこの震災は終わらないということです。終わらないことを覚悟できたら,忘れる,忘れないということから自由になれるのだと思います。                            若松英輔氏(批評家)
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 3月7日(月),大月市消防署丹波山出張所竣工式。折しも消防記念日。多くの方が丹波山村に出張所ができたことを喜んでいた。この地から直ちに救護・救助できることに。

 竣工式に参列して思うこと。それは,今丹波中学校は運良くふつうに学校生活が送れている。出張所要請依頼ができるだけ無いように“運良くふつう”がいい。東日本大震災を教訓として風化させないためにも。

 

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